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演劇「泥かぶら」をご存じでしょうか。 昭和27年の初演以来、文部大臣奨励賞を受賞し、国内外で15000回以上も上演されている眞山美保作・演出の名作。子どもから大人まで楽しめて心洗われる美しい劇です。 ストーリーをご紹介します。

昔、ある村に顔の醜い少女がいました。孤児で、家もなく、森の落葉の中にもぐり、橋の下に寝る。色は真黒、髪はボウボウ。着物はボロボロ、身体は泥だらけ。少女は、その醜さゆえに、「泥かぶら」と呼ばれていました。子どもからは石を投げられ、唾を吐きかけられ、泥かぶらの心はますます荒み、その顔はますます醜くなっていくばかりです。

ある日のことです。泥かぶらがいつものように村の子どもたちと争っていると、旅のお爺さんが通りかかりました。 悲しみに打ちひしがれた泥かぶらを慰めていると、泥かぶらは、「きれいになりたいなあ」とつぶやき、お爺さんにその方法を問います。お爺さんが教えてくれた方法は、3つありました。「まずは、自分の顔を恥じないこと。2つ目は、どんな時にもにっこりと笑うこと。そして3つ目は、人の身になって思うこと」

泥かぶらは、激しく心を動かされます。というのも、それらは、今までの自分とまったく正反対の生き方だったからです。 「この3つを守れば村一番の美人になれる」 お爺さんの言葉を信じた泥かぶらは、その通りの生き方をしはじめます。しかし、急に態度の変わった泥かぶら見て、村人は不審に思うばかりか、嘲笑し、中傷するのです。しかも川面に移る自分の顔を見ても少しも美しくなっていません。

泥かぶらが絶望感に襲われていると、事件が起こります。村一番の美人で一番お金持ちの庄屋の子こずえが、どうしたことか、「こわいよー」と叫んで、逃げ回っていたのです。こずえは、日頃から泥かぶらを嫌っていじめていた者の一人です。何かわけがあるに違いありません。果たして、こずえの後ろから、父親の庄屋が竹の鞭を持ってやって来ました。庄屋は大切にしていた茶碗を割られたことで、怒り心頭に達していました。

父親の怒りを逃れるために、こずえは、泥かぶらに罪を着せてしまいます。怒り狂ったような庄屋は、娘の言うことを信じて疑いません。泥かぶらを見つけると、容赦なく鞭で打って、折檻をし始めました。泥かぶらは、黙ってその鞭を受けました。何度も何度も叩かれ、ひどい言葉を浴びせられながらも、お爺さんのあの言葉を思い出しながら、泥かぶらは最後まで耐え忍びました。

しかし、それでも泥かぶらの顔は少しもきれいになっていません。絶望感と怒りに苛まれた泥かぶらが一人泣いていた時でした。泥かぶらを呼ぶこずえの声がしました。「泥かぶら。堪忍して」そして、こずえはおずおずと自分が一番大事にしていた櫛を差し出したのです。美しい櫛に心引かれるものの、泥かぶらは自分のちぢれた頭を思い出し「あたいなんか……だめだ」とためらいます。

こずえはそんな泥かぶらの頭の泥を払い、櫛で髪の毛をすいてあげて、かたわらの花を挿してあげるのでした。 二人の間に確かな友情が芽生えてきたのです。 ちょうどそこへ、病気の妻のために薬草を探しにきた村の男がやってきます。 その薬草は登るには危険な岩鼻にしかなく、男は失望していました。「おじさん、あたい、採って来る」 泥かぶらはそう言って駆け出しました。しばらして、全身傷だらけになって戻ってきた泥かぶらと手にして薬草を見て、男が感謝感激したのは言うまでもありません。 泥かぶらの心にも喜びがわきあがってくるのでした。

それからです。泥かぶらは、村の人のためになることを次々と考えてして実行していきます。山に入って薪を拾ってきたり、子供が泣いていたら慰めてやったり、子守りをしてやったり、人の嫌がることでもニコニコしながら次から次にしていきます。村人たちはたいそう喜び、泥かぶらも嬉しくなります。すると、心も穏やかになっていき、あれほど醜かった表情が消えてなくなっていきました。村人のために労をいとわずに働く泥かぶらは、次第に、村人にとってかけがえのない存在になっていったのです。

ところが、そんなある日、村に恐ろしい「人買い」がやってきました。人買いは借金のかたに、一人の娘を連れていこうとします。泥かぶらと同じ年の親しい娘です。見かねた泥かぶらは人買いに、自分を身代わりにしてくれと頼みます。こうして、売られていく泥かぶらと人買いとの都への旅がはじまります。旅の途中、毎日、泥かぶらは何を見ても笑い喜びます。しかも人買いを自分の父親のように慕い、親切にするのです。そんな泥かぶらの姿に人買いは、激しく心を揺さぶれます。月の美しい夜でした。人買いは、泥かぶらにお金とともに置き手紙を残してそっと姿を消します。

手紙にはこんな言葉が書かれていました。「俺はお前の寝顔を見て恥ずかしくなった。お前が話してきかせた赤ん坊のように俺の心に憎いものがなくなった。今日から人買いはやめる。いい仕事をしよう。お前も幸福にお暮らし。……俺は今踊りだしたいくらいだよ。お前のおかげだよ。お前の笑い声、俺は一生忘れない。ありがとうよ。仏のように美しい子」

泥かぶらはそのときはじめて、お爺さんが自分に示してくれた、教えの意味を悟るのです。泥にまみれて醜い姿をしていた少女も自分を変えることができました。彼女にひどい仕打ちをしていたまわりの人たちの心も、期せずして変わっていきました。

どんな人間でも、自分を変えることができます。 自分の心がけを変えるだけで、自分の人生を変えることができます。人を幸せにすることもでき、それがまた自分の幸せにつながります。そうして私たちの人生はさらに美しく、愛に満ちたものになるのです。

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「食欲がない」というのは素晴らしいお便りです。

私たちの生理は、食べ物を消化・吸収するために、体内で膨大なエネルギーを費やしています。

一方、体内に異物・毒物が蓄積して体調が悪かったり、半病人の場合。
私たちの生理は、この異物・毒物を分解して、本当に悪いものは排出し、有益なものはエネルギーに転換させる作業を行い、身体を適正な状態に戻すよう精進しています。
これを恒常性維持機能(自然治癒力)と言います。
この作業にも莫大なエネルギーを必要とします。

そこで、自然治癒力が働き、異物・毒物を分解して、中和(毒消し)排出作業を優先させたいと決断しますと、食べ物が入らないようにするために「食欲を無く」してくださいます。
そうしますと、私達の生理は、「分解・中和(毒消し)排出」作業にエネルギーを集中して、これに専念することができます。
食欲が無かったら、食べなくて良いのです。
「食欲がない」というのは、有り難い自然治癒力様からの嬉しいお便りです。

            ☆

風邪の原因は「食べ過ぎ」です。
満腹でも食べてしまう、「目が卑しい」のです。
過食しますと、腸様がお疲れになり、消化能力も減退し、身体の抵抗力も衰え、呼吸器を弱めてしまい、風邪をひきやすくなります。
「風邪をひいたかな?」と思ったら、温かくして寝ていましょう。

寝ていれば食べなくて済みます。
食べ物が入ってこないと、私達の生理は「分解・中和(毒消し)排出」作業に集中することができます。
これが自然治癒力です。

ほとんどの病気の原因は「食べ過ぎ」です。
良く噛んで少量の食べ物を有り難く感謝していただきましょう。

少食は自分を救い、世界をも救います。

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10日は連休の最終日。トンボ池公園という岸和田にある、家族連れなら最適な行楽スポットにいってきました。嫁さんは僕の弟家族も来てたって言ってました。偶然見かけたんだとか。

大きな芝生の公園やきれいな池、その他。僕らは少し離れた人の少ないところへ行きました。すごく長い滑り台、ブランコ、小さな山というか丘というか、そういうのが数個。気持ちいい芝生の広場。

お弁当を持ってのんびり。

うちは、上が4歳の男の子。下が1歳の女の子。上の息子はやはり遊ぶには男の子同士というか、男兄弟のほうがいいんやろうなあって感じます。腕白ですし。

最初はトミカの車が好きで、すさまじい数のミニカーがわが家にあります(笑) それも今は全く興味示さないわけではありませんが、次第に仮面ライダーやゴーカイザーなどに関心がうつり・・・仮面ライダーは、ベルトその他グッズを欲しがり、トイザラスさんともお友達に(笑)

なかなか手に入らなかった、仮面ライダーフォーゼのベルトを運よく購入できたとこです。

それはいいとして、トンボ池公園では、そこで出会った同じくらいの年の男の子と意気投合。手をつないで滑り台のぼって、滑ってました。かなり並んでましたが。

やはり、子供っていいですね。すぐ仲良くなる。滑り台のほかは、お互いに持ってきてたボールで遊んでました。さすがに夕方4時前にもなると、そろそろ帰る人も増え、友達になった子も帰る準備を親御さんがされてまして、わざわざバイバイしにお母さんと僕の息子のところに来てくれました。

寂しそうやったけど、大きな声でバイバイ!!っお互いいつまでも手を振ってました。一緒に遊んでくれてありがとうって、うちの息子が言ったときには僕も胸が熱くなり、こみ上げてくるものを抑えることができず、少し涙ぐんでしまったんです。

かなりの親ばかですが、そんなやさしい言葉を言った息子に感激したんです。もっと一緒に遊びたかったんやろうなあ・・・ 家の近所には同じくらいの子供もいないので、幼稚園以外はもっぱら家ですしね。

4歳ですし、一期一会というか、たまたま遊びに行った先で知り合った、短い時間だけ一緒に遊んだ子のことなんて、お互い数日で忘れてしまうんでしょうけど、それでも仲良く楽しそうに遊んでた息子の笑顔は僕はずっと覚えてると思います。やはり子供は子供同士がいいですね。

日頃、1歳の妹とおもちゃの取り合いなどで妹をたたいたりするので、思わず僕も嫁も怒ってしまうのですが、後で悪かったなあっていつも反省するんです。どうしても下の子に目がいってしまう。お兄ちゃんなんやから、貸し手あげなさいとか言ってしまったり。そんなんほんまは上も下も関係ないんですけどね。

それでも、上記のように、一緒に遊んでくれてありがとう、バイバイ!!って言っていつまでも手を振ってた息子には感激と同時に、優しい子に育ってくれてるなあって感謝もします。

こんな僕みたいな親のところに生まれてきてくれてありがとう。僕に息子を預けてくれた神様にももちろん感謝です。

自分の命よりも大切な存在である、我が子供たち。その子供たちに日々僕は親として成長させていただいてます。

ありがたいことです。

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イエローハット創業者であり、「掃除の神様」としても知られるイエローハット相談役・鍵山秀三郎氏の印象に残るお話をご紹介いたします。       

叩かれ、踏みつけられた思いは私にもありますが、私の場合はどんなことでも割合簡単に譲るようにしてきました。

人が一歩踏み込んできたら「いいですよ」と引く。すると相手は甘く見てどんどん踏み込んできますが、私はどんどん引く。

しかしそれがある一線に達して、私が「ほい、待った」と言ったときはもう一歩も譲りません。

一歩も譲らないのは私個人の利害からではありません。
これを譲ったら社員が幸せにならないとか、社会が良くならない、あるいは相手にもよくないと思ったら絶対に譲りません。

量販店との取り引きをやめたのもそうですが、相手が暴力団でも譲らずにやってきました。

大勢のやくざに一昼夜以上監禁されて
「金額が記入していない白地小切手を会社から届けさせろ」と脅されたこともありました。

小切手にどれほどの金額を書き込まれるかわかりませんから、断じて譲りませんでした。そのときは着ている洋服をカミソリでずたずたに切られて家に戻ったものです。

中国の言葉に
睡面自乾(すいめんじかん)」というのがあります。

喧嘩がめっぽう強い青年に、村の長老が「世の中には強い人間がたくさんいるから、これからは我慢して喧嘩はするな」と諭しました。

「どのくらい我慢すればいいですか」と尋ねた青年に、

「たとえ顔につばきを引っかけられても我慢する。それも拭ったりせず、自然と乾くまでほっておけ」
と長老は答えました。それがこの四文字の意味です。

私は喧嘩が強いというわけではないですが、人生において何度も、この言葉を思い出して我慢をしてきました。

仕事も人生も大切なことは、「いかに将来良いことを、いまやるか」ということに尽きます。

歴史を見ましても、人間、企業、国家がいま良くて将来も良かったということはありません。
いまが悪くて将来良くなる、あるいは、いまが良くて将来悪くなるというのが歴史を見てわかる方程式です。

ところが、日本ではいま、良いことばっかりを狙っていますから、これでは将来は悪くなるばかりです。

そうではなく、いまは苦しくても将来良くなるであろうことを願ってやっていく。これが人生にも仕事にも共通する大事な心構えだと思います。

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人と接するとき、思い出したい言葉です。

わたしは、どんな人であっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにしています。 BYマザー・テレサ

人には、欠点もあれば、長所もあります。だれにでも、いいところがあるんですね。長所を見ようとすると、「あっ、結構いいところがあるんだな」と、わかります。  

相手のことが、ちょっぴり嫌いでなくなります。マザー・テレサは、人のなかの美点を見ようとした人です。特に、貧しい人、病に苦しむ人のなかに、彼女は神様を見ていたのです。  

その人も神様の子どもであり、神様に愛されている人だと信じる。彼女には、美しいところがよく見えたはずです。だれにでも美点があります。  

長所があります。もちろん自分にも・・・。自分の美点もさがしましょう。  一つ見つかれば、一つ幸せになります。まるで宝さがしです。

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